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  • tsunemichiaoki

大成功か!? 私の講師デビュー物語

更新日:5月8日

講師デビュに向けて、不安と期待、準備

セミナービジネス研究所の記事をご覧いただきありがとうございます。あらゆる経営者の方が事業を発展させていく上で、セミナー展開の価値、メリットを感じていただくために、セミナー展開で御社の事業あるいは経営者であるあなた自身のアピールをしていただきたいと考えております。

そのために、セミナー展開をどのように行っていけばよいか、という基本をお伝えするための記事を書き連ねております。

 


前回は、講師デビューを成功させるための秘訣を2回にわたりお伝えいたしました。

物理的な準備は理解してあとはそれを行うだけですが、心理的な準備は実は簡単ではありません。

他者事例を参考にしていただく、というのも大変有用な取り組みになります。それも成功事例よりも実は失敗事例の方が・・・。


ということで今回は、大変お恥ずかしいものではありますが、私自身の経験を踏まえたお話を創作いたしました。皆さまのご参考になれば幸いです。


 

それではさっそく本文をどうぞ。

 


 

 

大学を出て初めて就職した会社は銀行。

そして最初の配属は支店で預金集めの仕事。

毎日おばちゃん相手に「預金してください、へそくりの1万円でもいいから」とお願いばかりしていた。

そんなある日、上司から突然、「転勤だ」と言われ、全く違う世界に飛び込まなければいけなくなった。

おばちゃんとしか接していなかった自分がいきなり聞いたこともない専門用語が飛び交う東京のど真ん中の大きなビルの中で働くことになった。

 

そしてある日、上司からの命令がきた。

「今度、講師をやってくれ」と。

「へっ、講師ですか???」

 


先輩たちもみな強制講師登壇を経験してきていた。故に、一番下っ端の自分に当然拒否権はない。ただ、皆、鬼の上司、先輩ではなく、ちゃんと経験済みの先輩がわざわざ時間をとってくれ、さらにマンツーマンレッスンまでしてくれた。

教材はそれまでに先輩たちが使ってきた既にあるものを使えばOK。

これは助かる。

 

でももちろん今のようにパワーポイントスライドを使って資料を作り、投影して、なんていう洗練されたものではない。

紙と鉛筆と黒板の時代の話、ほどではなかったが、ほぼそれに近い時代。

 

そして何よりも内容についての理解が及ばない。なにせまだ世の中に教科書、参考書のようなものもあまり出回っていない先端金融知識に基づくものだったから。

実は毎日おばちゃん相手に営業していたのに、そこに転勤になってから来るお客さんはほとんどがアメリカ人。東京で行うミーティングとは言え、もちろん会話は英語。日本語で聞いてもよくわからないことを英語でやり取りしろって、いったいどういうこと!という状態がずっと続いていた。

 

セミナーの話に戻ろう。


 

受講するお客さんは幸いなことにお金を払ってくる方々ではなく、無料参加(つまりサービス)。

無料か有料かの違いは大きい。

そして講師を務める時間は数日間にわたるセミナーの中のたったの一コマ、2時間。さらに2時間の中で途中休憩を入れることまで考えれば、それほど長い時間でもない。

 

さらに、数日間のセミナーの中の一コマ、ということであれば、お客さんもそれほど期待をしているわけではなく、まあうまくいかなかったとしてもほかの人がカバーしてくれていれば、全体としては参加してよかった、と通常はなるはずなので、翌々冷静に考えれば、それほど大きな負担がかかるものでもない。

でも大講堂で壇上から喋らなければならないし想定のお客様数は100名程度。ここはちょっとハードルが高い。


加えて、自分は25歳。お客さんは年上の人ばかりと想定される。さらに部長クラスもいるらしいと聞いた。

う~ん、本当になんとかなるのだろうか。上記のことは今だから書ける部分が多く、当時はとてもそんな冷静な情勢分析などはできない中で、えっ・・・本当にやらなきゃいけないの・・・という心の悲鳴しかなかった。


 

 

そして何よりも内容は、アメリカ人のお客さんと上司、先輩がやり取りしていた内容に関するものなのである。

いくらそれを初心者向けに噛み砕いた内容のセミナーになっていると言われても、イロハのイすらまだよくわかっていない段階の自分がどうして講師ができるの?といつまで立っても逃げ腰のまま、月日ばかりが経っていった。

 


何回、先輩のマンツーマンレッスン、及び指導を受けたことであろう。

もう今となっては記憶にないが、2度や3度ではなかったはず。改めて思うと本当に先輩には感謝だ。

 

そして、前々日リハーサル。それまでう~ん、とうなってばかりいた先輩からようやくここでOKが出た。

一向に不安は減らないが、何とかなりそうだ、と初めて自分でも思えたときだった。


 

そしていよいよ当日、と言いたいところだが、その前に一波乱が待っていた。


 

なんと登壇前日に熱を出したのである。



 

はってでも会社に行こうと思えば行けたが翌日の講師のことを考えると無理しない方がいい。上司に電話をして許可をとり、その日は終日寝ていた。何とも情けない。そしてそのことが周りに与える影響も全く考えることすらできなかった。

前の日に先輩からOKが出たことで完全に気が緩んでしまったわけだ。

 

 

翌日。幸い熱は下がった。無事出社できた。

そして無事講師もできた。

 

本当にホッとした。1ヶ月位続いていただろうか、プレッシャーから開放されて心身とも身軽になったことを感じたことを今でもよく覚えている。

セミナー時に後方で聞いていた同僚からも、よくわかったと褒めてもらえた。無事ミッション完了。当日のお酒の美味しかったこと。

 

だが、物語はこれで終わりではなかった。



 

およそ1ヶ月後の先輩の一言・・・

「君は講師向きだね。次回もよろしく」

「ひえ~」

・・・・・・・・

・・・・・・・・

 

 

 

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

さて、ここに記した内容はどこまでが本当でどこはフィクションか。

 

お察しいただいたとは思いますが、私自身の講師デビューのときの顛末をかなり踏まえながらのものです。

何度だったかまでは全く覚えていませんが、本当にデビュー前日にそれなりの熱を出しました。

 

快く休め、と上司は言ってくださいましたが、自分が上司の立場だったとしたら、嫌味の一言も言っていたかもしれません。できた上司でした。



 

そして最後の、先輩の一言。

ここは完全なフィクションです。

 

指導のかいあって、本番のときもしどろもどろになることもなく、きちんと想定した内容は伝えることができました。電卓を使って、受講者にも計算してもらう簡単な演習のようなものも入っている内容だったのですが、受講されているみなさんが電卓叩いているかな、終わったかな、というようなことを冷静に見る余裕も本番の時にはありました。

 


アンケートがあったわけではないので、客観的な評価はありませんでしたが、デビュー戦としてはまずまずの出来だった、と言っても良いでしょう。

 

でも、実際に先輩から言われた本当の一言は、


 

「お前がもし熱が下がらず、当日も休んだら、代わりに講師やってもらえるか」と課長から俺は言われていたんだぞ!


 

という一言でした。

 

「ひえ~」

こちらは本当です。

 

そうだったか、それは申し訳ないことをした、とあまりに子どもだった私は上司、先輩の配慮、気遣いにまったく意識を向けることができていなかったのです。

上司の立場から考えれば当然の想定なわけですが、25歳の若造ではだめでした。25歳になってもその程度のことも推察ができませんでした。

 

穴があったら入りたい。

 

今だから自らの恥を晒すこともできるようになりましたが、自分の中ではとても大きな出来事として胸に刻まれることとなりました。

 

K先輩、T課長、その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。


今回の、大成功か!? 私の講師デビュー物語、以上となります。お読みいただきありがとうございました。

 

(了)

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